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2016年08月05日

原爆の恐ろしさを描いた『いわたくんちのおばあちゃん』で考えたい平和な未来のつくりかた

提供元: ダ・ヴィンチニュース

『いわたくんちのおばあちゃん』(天野夏美:著、はまのゆか:絵/主婦の友社)

 今から71年前。8月6日と9日のアメリカ軍による原子爆弾投下で、広島市と長崎市の人々と建物が吹き飛び、焼けつくされた凄惨な光景を写真資料等で直視したことはあるだろうか?

 一度見たら決して忘れることのできないその地獄のような光景は、十数万人を一瞬で奪う核兵器の凄まじい破壊力と、戦争をした国の罪深さと愚かさを伝える証しだ。

 その原爆投下を受けて日本が敗戦を受け入れるまで、軍関係者230万人と民間人80万人をあわせた310万人もの尊い命が犠牲になった。(※参考資料「数字は証言する〜データでみる太平洋戦争〜」毎日新聞)

 その原爆投下された広島でのある家族を描いた実話に『いわたくんちのおばあちゃん』(天野夏美:著、はまのゆか:絵/主婦の友社)という絵本がある。

 主人公の「ぼく」には、いわたくんという友だちがいる。2つ年上で運動会ではライバルのいわたくんは「敵だけど、友だち」で仲がいい。
 その運動会の日、いわたくんのおばあちゃんが家族写真に写るのを嫌がっている姿を目にした「ぼく」は、「おばあちゃんがなんで家族といっしょに写真をとらんのか、しっとるんよ」といい、学校の「平和学習」の授業を思い出す。

 そのとき聞いたのは、いわたくんのお母さんが話してくれた、おばあちゃんのちづこさんの被爆体験だった。当時、高校生だったちづこさんは4姉妹の長女で両親とともに広島で暮らしていた。しかし日本が戦争をはじめて大きな町が爆撃を受けはじめたため、ちづこさん一家も疎開の準備をはじめた。家族で住んだ家も焼けてなくなるかもしれないからと、写真館の人を呼んで家族の記念写真を撮ったのが1945年の8月初め。


 そしてもうすぐ引っ越しという8月6日、学徒動員のためちづこさんは兵隊用の缶詰工場へ、中学生の次女のかよちゃんは別の作業場へ出かけた朝の8時15分、広島に原爆が落とされたのだ。

 目がくらむような光とともに工場が崩れ落ち、がれきの下敷きになったちづこさんは懸命に這い出て逃げ出した。家族を探しに広島の町に戻ると、そこに広がっていたのはがれきと、にげまどう人々だった。


 自分の家の焼け跡を掘り返してあらわれたのは、お父さんと三女のひろちゃん、そして3歳の末っ子のきみちゃんをかばうようにしてなくなっていたお母さんの遺体だ。かよちゃんはその後も見つからず、ちづこさんはたった一日でひとりぼっちになってしまったのだ。


 家族みんなでとった写真を見ることができたのも、ちづこさんたったひとり。
 一緒に写った家族が亡くなったあの夏が忘れられないから、おばあちゃんは大切な孫や娘たちと写真を撮りたくないのだ。

「ぼく、戦争 せんけえね。」
「ケンカしても すぐ 仲直りするよ。」
「ぼく、おとなになっても 戦争せんよ。ほんとよ。」

 最後にぼくが、戦中戦後も生き延びた庭のうるしの木に語りかけるこの言葉は、平和を願うすべての人々の言葉だ。
ケンカしても争わないぼくといわたくんの関係は、人々が平和に生きるための原点だ。

 いわたくんのお母さんは最後にこう結んでいる。

「『戦争なんてずっとむかしの話』、なんて思わんでね。
ひょっとしたら、『未来の話』になるかもしれんのよ。
『未来』、それは、君たちみんながつくっていくものだからね」

 戦争をはじめるのは“政府”。戦争で死ぬのは“国民”。
そのことを決して忘れることなく、平和のためにひとりひとりができることからはじめよう。

文=樺山美夏
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