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2016年06月08日

「悩めるママたちの気持ちに寄り添いたい」「保育園一揆」仕掛け人に聞く、待機児童問題と杉並区のその後の話

提供元: laxic

「悩めるママたちの気持ちに寄り添いたい」<br />「保育園一揆」仕掛け人に聞く、待機児童問題と杉並区のその後の話

当事者として声を上げずにはいられなかった
「保育園一揆」に至った思い

曽山恵理子さん

ラシク編集長 宮﨑(以下、宮﨑)杉並区の待機児童問題には、どんな背景があるのでしょうか?

曽山さん(以下敬称略、曽山)杉並区はそもそも出生数が増えて未就学児が増え、さらに共働きの割合が増えているので、保育園の整備が追いつかず、待機児童数が増えています。2013年に、「保育園一揆」と呼ばれる陳情行動を私たちが起こす前は、前3年間(2011~2013年)に認可保育園が増えた数は3園だったんです。でも2014~2016年の間には25園増えました。「増やしてほしい!」と訴えたことで増えたんです。あそこで何かアクションを取らなかったら、保育園に入れなくて苦しんでいる人たちはもっと多かったと思います。

私自身も保活で大変な思いをしましたが、自分で立ち上がって声を上げることまではなかなかできなかったなあと思いながら、保育園一揆のニュースを見ていました。立ち上がった時は、どのような気持ちだったのでしょうか。またどんなに辛い想いをしても、当事者でなくなると関心が薄れてしまいがちな待機児童問題に長く関心を持ち続けてこられたのは、どんな思いからですか?

曽山もともと保育園の問題には関心を持っており、10年ほど前にmixiで「杉並の保育園」というコミュニティを立ち上げました。さらに、上の子(2004年3月生まれ、現中1)が2歳の時に保育園の父母会の役員をやったことがきっかけで、他の園のことを知ったり保育園の情報交換ができたりすればいいなあと思い、保育園の状況について色々調べ始めました。

子どもが生まれたときの大変さは、自分のそれまでの価値観をひっくり返すほどでした。うちは核家族でもあったため、気持ちに寄り添ってくれる人がいないなあと。母親学級で出会ったママたちと週1でランチをしながら近況報告をし合っていましたが、すがれるところはそこだけでした。子育てに関する具体的な相談を誰にしたらいいのかわからず、子どもを保育園に入れようと思っても、年度途中は保育園に入りにくいということさえわかりませんでした。上の子の時は産後うつも経験し、家にいられないと思い、生後半年たたずに保育ママさんに息子を預けて8月に職場復帰。翌春から認可保育園に移れました。

ママたちから保育園入園に関する相談などを受けるのは、会社勤めのかたわらされていたんですか?

曽山元々キャリアカウンセラーとして色々な方のご相談に乗っている中で、女性の就労支援をライフワークにしたいという思いをずっと持っていました。でもそれ以前の「保育園に入る」という段階でこれだけ多くの人がつまずいているということが結構な衝撃で。当時私は会社員だったので、自分のできることをと思い、メールで相談を受けてお答えをするということをやっていました。

会社員で収入があったから無償でやることができていましたが、プライベートな時間を充てているわけですし、自己満足なのかなあと考えてしまうこともありました。でも本当に切羽詰まっている方の中には「保育園の入園申請に関連して、区役所に着いてきてほしい」という方もいたんです。さすがに仕事を休んでまではできず、できないことがすごくジレンマだったんです。有給を取ってやれなくはなかったのですが、それをやり始めるとみんなにやってあげたくなってしまう。ボランティアなのでそこは線を引かなくちゃと。

求められている支援ができないことが「ジレンマ」だったんですね。「助けたい」という思いですか?

曽山私がやったからといって、助けられるかどうかはわからないのですが、その人が困っている状況に寄り添うことはできますよね。やれることには限界がありますが、気持ちをわかってもらえることに勇気づけられる人はたくさんいるんじゃないかなあと思いました。

その後、2009年に、「保育園を考える親の会」という団体との出会いがありました。保育園に入る入らないだけでなく、両立支援の大切さや、子どもにとっての保育園という場のよさを発信しているようなグループだったので、私もすごく勇気づけられました。私も自分個人としてできることをと思い、SNSのコミュニティで保育園情報を発信し続けました。

下の子の妊娠が分かったのは、上の子が小2の時。2011年の11月に出産をして1年後の11月に復帰をしたかったのですが、年度途中だと、認可どころか認証や認可外の保育園も入れませんでした。ちょうどそのころ、小学校の跡地を認可保育園にしてほしいという署名活動をしているグループに出会い、意気投合して2013年の1月に立ち上げたのが「保育園ふやし隊@杉並」です。保育園問題にずっと関心を持ち続けてきて、そして下の子が保育園に入れないという当事者にもなり、その年の4月入園の選考では申込者の3分の1ぐらいしか認可保育園に入れないという結果が発表されて。声を上げずにはいられない気持ちになりました。自分自身の子どもは2人と決めていたので、保育園問題について何かやるとしたらこれが最後だなという想いもありました。

ママたちの気持ちに寄り添いたい
保育園一揆、復職、退職、コワーキングスペースの立ち上げへと突き進んだ1年

曽山さんが杉並で立ち上げたコワーキングスペース「こどもコワーキングbabyCo」

宮﨑もともと行動派だったんでしょうか?

曽山保育園一揆以前に、社会運動的なことをしたことはありません。正意義感が強いっていうのはよく言われていましたけれど、融通も利かないんです。その原点みたいな部分は小学校の高学年の時にありました。小学校高学年女子のいじめって、順番にターゲットが変わりますよね。私に向いていたターゲットが他の子に移って、あの子を1人にしようみたいなことがあったんですが、「私はあの子と一緒に行く」と。ターゲットはまた私のところに戻ってきましたけどね(笑)。

子どもの頃から理不尽なことが許せなかったんですね。保育園一揆などでの実名での発信については、曽山さんにとっては普通のことでしたか?

曽山ずっと匿名のmixiで発信していたので、実名か匿名かをあまり気にしたことなかったんです。でも、自分が名前を出し、「あなたを応援している人はここにこうやって実在しているよ」というのを表すことで、励みにしてくれる方もいるんじゃないかと思った部分もあります。

保育園一揆をしてから、復職と退職をへてコワーキングスペースを立ち上げられたのですよね。

曽山私は元々、IT系の学校のキャリアカウンセラーをしていたのですが、上の子が3歳の時に職業訓練を受けてSEにキャリアチェンジしているんですね。そして、上の子が3歳と小1の時の2回、転職を経験しています。2度目の転職後は、仕事と家庭のバランスが取りにくい職場環境でした。上の子が2年生の時に下の子の妊娠がわかり、下の子を出産後も約1年半後に職場復帰したのですが、有給さえスムーズに取らせてもらえず、暗に退職をほのめかされるような状態。闘う気もせずに復職して3ヵ月後には退職しました。その時すでに、ママたちの就労支援や相談業務を仕事にしたいという気持ちがわいていて、創業のための準備を進めつつ、退職を決めました。

コワーキングスペースを利用するのは、フリーランスの人が中心ですか?

曽山そうですね。子どもを保育施設などに預けずに、普段は家で仕事をしているけれどたまに集中してやりたいという方が中心です。月額で定期的に使っている方より、スポットで使っている方が多いですね。

良心的な利用料で提供していますよね。

曽山フリーランスでの働き初めには、託児費用の捻出も難しい時期があり、夜の睡眠時間を削って仕事をすることで身体を壊す人もいます。そんな方を減らすために、日中ここで保育士さんに見てもらって仕事できる環境を作ってあげられたらと。ただ、子どもがそばにいて安心な反面、ワンスペースなので集中できない部分もあるようなので、今後の在り方を考えていかなければいけないとも考えています。

ママ向けのイベントも開催されているんですね。

曽山最近は地域のママ向けの交流イベントの比重が高くなってきて、月・木にイベントをやって、火・水・金はフリーランスの方が来てもらえるようにと考えています。

育休ママ向けの両立支援のトレーニング的なこともやりたいと思っています。でも、育休ママたちには「せっかくの育休中だから仕事のことを考えるより親子で楽しみたい」と考えている方も多いですね。親子でイベントを楽しみながら、友だちを作っています。ここで友達になったママたちが同じ保育園に入って仲良くできてよかったという声もあります。子どもが生まれてすごく不安な時期、育休中を一緒に過ごしたママは、ママ友というより「仲間」という感じが私の中にはすごくあります。

問題解決のために行政を巻き込んで同じ方向を向いていきたい
保育園一揆をへて変化した活動の形

こどもコワーキングbabyCoでのイベントの様子

宮﨑保育園一揆と呼ばれる行動を取ったことを、今、どのように振り返っていますか?

曽山メディアに取り上げられたことでのインパクトや効果はありましたよね。でも、一揆とかデモとかというと、行政の方から反感を買う感じがします。本来は、子育てや保育の環境を行政と一緒に考え協業でやっていく形を取りたいと思っています。それをどうやっていいのか当時はわからなかったんですね。インパクトのある行動は、あくまでファーストアクション。同じことを毎年やっても意味がない。その後でどうやって手を握っていくかということを、考えていかなければいけないと感じています。

行政側とは今、どんな関係を築かれていますか?

曽山青年会議所から、区長選の政策討論会で使う子育て世代の意見の取りまとめをお願いされたこともありました。また、保育園の入園案内の付属の冊子を、杉並区の保育課と協力して作りました。区内のどこにどういう種類の保育施設があるのかをわかりやすくまとめたものです。これは知り合いの議員さんが、「入園案内だけでは不便だ」という私たちの声を受けて保育課とつないでくださったんです。

1人1人が声を上げることはやはり大切ですか?

曽山そうですね。困っていることについて声を上げていかないと、行政の中では「困っていることは無い」ことになってしまうんですね。でも声を上げるのも、1人だと薄いんです。共感する人たちで動くことで発信力がアップします

話題になった「保育園落ちた、日本死ね」のブログについてはどう感じましたか?

曽山声を上げるというよりは、「本当に困っているんだよ」という想いをぶつけたひとりごとのようなものだったと思うのですが、色々な方が取り上げたことでまた待機児童問題もすごく注目されたので、あれはあれでよかったんじゃないでしょうか。

これから曽山さんはどういう形の活動をされていくんでしょうか。

曽山今後も、ママたちの就労支援や相談業務など、活動の原点である「個人に寄り添う」ことをさらに充実させていきたいです。

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